こんにちわ。
サトパパです。
令和に新元号が決まり、万葉集が重版って誰もが予想していませんでしたね。
今の時代に万葉集がそんな売れるなんて。。。
万葉集を調べる人も多くなり、ますます注目度が上がっています。
そんな万葉集を編集したと言われる人物「大伴家持」って一体何した人なのか?
調べてみました!
- 大伴家持の人生の生き方や一生
- 大伴家持のゆかりの地は富山高岡市万葉歴史館
- 大伴家持の父は大伴旅人
- 大伴家持の弟や子孫
- 大伴家持の代表作品
と書いていこうと思います。
大伴家持の人生の生き方や一生
名前読み方:大伴家持(おおとものやかもち)
時代:奈良時代の貴族
生涯年数:生誕718年(養老2年)~785年10月5日(68歳)
氏族:大伴氏
官位:従3位・中納言で三十六歌仙の一人
大伴家持本人も今の時代にここまで注目されるとは夢にも思わなかったでしょう!
そして、新元号の由来となった万葉集に深く精通し、編集し、一番多くの歌を残したとされる人物。
その人物像の詳細です。
家持は大伴氏の跡取りとして、貴族の子弟に必要な学問・教養を早くから、しっかりと学んでいました。さらに彼を取り巻く人々の中にもすぐれた人物が多くいたので、後に『万葉集』編纂の重要な役割を果たす力量・識見・教養を体得することができたようです。またその歌をたどっていくと、のびのびとした青春時代をすごしていたようです。
高岡市万葉歴史館より抜粋
やはり有名な歌人は小さい頃から教育を受けていたんですね。
家持は越中守在任中の天平勝宝元年(749)に従五位に昇進しますが、帰京後の昇進はきわめて遅れ、正五位下に進むまで21年もかかっています。しかもその官職は都と地方との間をめまぐるしくゆききしており、大伴氏の氏上としては恵まれていなかったことがうかがわれます。橘氏と藤原氏との抗争に巻き込まれ、さらに藤原氏の大伴氏に対する圧迫を受け続けていたのでしょう。
高岡市万葉歴史館より抜粋
家持は一族を存続するため、ひたすら抗争の圏外に身を置こうとしますが、そのため同族の信を失うこともあったようで、一族の長として奮起しなくてはならぬという責務と、あきらめとの間を迷い続けていたことを、『万葉集』に残した歌(4465・4468など)からうかがうことができます。
かなり苦労していたのかなと伺えます。
この時代は戦乱もある時代。
その時の気持ちの一部を万葉集に残し、今にも語り継がれています。
延暦4年(785)68歳で没しました。埋葬も済んでいない死後20日余り後、藤原種継暗殺事件に首謀者として関与していたことが発覚し、除名され、領地没収のうえ、実子の永主は隠岐に流されます。家持が無罪として旧の官位に復されたのは延暦25年(806大同元年)でした。
富山高岡市万葉歴史館より抜粋
結局は無罪とされましたが、それは後の祭り。
息子にも罪を重ねられ、家も奪われてます。
なんとも悲しい結末。
ですが、令和が新元号に選ばれたことで、その想いも少しは報われたのではないかと思います。
大伴家持のゆかりの地は富山高岡市万葉歴史館
富山県にある万葉集を中心に研究されている施設です。
そして大伴家持が746年から5年間、高岡の地に滞在していたので、ゆかりの地とされています。
万葉集についてはもちろんですが、当時の歴史も学べますし、「四季の庭」で景色も豊かなので、いく価値ありですねー!
大伴家持の父は大伴旅人
新元号の令和について調べていると「大伴家持」と「大伴旅人」が出てきます。
大伴旅人とは、大伴家持の父である有名な歌人で大納言です。
そして、万葉集から出典された令和についての歌「梅の花」を作った歌人グループの中心メンバーとされています。
父が作った歌を息子の家持が編集した訳ですね。
大伴家持の弟や子孫
大伴家持の弟は「大伴書持(おおとものふみもち)」という人物。
こちらも歌人で万葉集の8巻によんだ歌があるそうです。
兄の家持より先に亡くなり、その死を悼む歌が万葉集の巻17に記載されています。
そして気になる子孫ですが、現在も生きており、「放生津八幡宮」という神社で宮司をされています!
この方です↓
こちらも富山県!
やはり富山には大伴家持と深く関わっている地域が多そう。
令和決定により、令和元年は富山が注目されるかも?!
私もビックリしましたね!笑
というより注目されているのがすごい!
まず令和が万葉集から出典と知らなければ、大伴家持を調べる可能性は0でしたから(笑)
大伴家持の代表作品
大伴家持の万葉集以外での代表作品はこちらです。
・千人万首
・百人一首(かささぎの~)
あとの有名どころは万葉集が多いですね。
知っているものは、百人一首かな。
「かささぎの 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける」
こちらが私の中では身近に聞いたことがある代表作品でした。
また大伴家持や万葉集について詳しく知りたい方は、分かりやすい漫画もあります。
新元号の影響でまだ入荷待ちかもしれませんが。。。
まとめ
今回は万葉集の編集をした大伴家持とその父や子孫について書いてきました。
父は大伴旅人で万葉集の令和が出典された「梅の花」をうたった人物。
そして、子孫はまだ存在していて、富山県の放生津八幡宮で宮司をしている!
万葉集以外の代表作品は百人一首の短歌になります。
新元号で大注目の万葉集ですが、作者にまで注目が集まるとは、令和ブームにビックリです。
また何か新しい情報入ったら書いていきますねー。